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こんな再会もあるんや

昨夜、いつも行っているワインバーと言ってもしっかり美味しいお食事も出してくれる素適なスポット「塩島」に行った

お客様は私達を含めて3組5名
それぞれに美味しいお食事とワインを堪能しながら色々な話に花が咲いていた!

お食事も終わりそろそろお会計…
と言うタイミングで少し離れたカウンター席にお一人で来られていた若い男性が私に声を掛けて来られた。

それなりの時間をそれぞれに過ごし、最後に声を掛けられた現実に最初は何事かと戸惑った。
蓋を開けたら、な、な、何と!
20年以上前に私が利用していたタワーパーキングでアルバイトをされていたと言う男性でした。
まさかの内容過ぎて自身が遡ることに必死だった。
彼の話は
「昔あの場所でアルバイトをしていた時に色々なお客様が来られてそれなりの地位の方達を目の当たりにして、いつか自分も大きくなりたいと心に誓っていたんです」と……
そして、彼は有言実行を既にされていた。

ブラボー

恐ろしいことに彼は私の当時の車種、ナンバープレートを覚えていた!
何と言う恐ろしい記憶力!
圧巻だ!

しかし、20年以上経って
私の容姿はかなり変わっているのに顔と声を聴いてピンと来たと言われた。
何につけても凄い人だ!

そして、何より私のことを
いつも愛想が良かったことも記憶してくれていて、そのことも伝えてくれた。
ええカッコではなく、自身は昔から明らかに自身が優位に立っている立場の場合には絶対に偉そうな言動は慎むことには心掛けていた。
なので、それは自身としては当たり前のことではあったが、そのことを覚えてくれていたことには、本当に嬉しいしかなかった!
改めてその必要性を痛感した。
そして、これからもこう言う礼儀は続けて行こうと誓った!

増田さん、お声掛けてもらったことありがとうございました。

また、どこかでご縁があります様に……

母が母でなくなった日

母は93歳
快食
快眠
歩みはヨタヨタながらも歩行器や杖は使わず何とか歩ける程度
何が問題って超難聴
補聴器は3タイプ目
型取りをして作ったオリジナル
だが、それでも難聴
会話は何とか
掃除はしなくなった
お料理もしなくなった
でも、病院の薬は何も飲んでいない
トータルするとやっぱり健康体
のはずだった母が一昨日、突然に歩行困難になり右足の感覚が薄らいで、右腕が痺れて来たと…

これはまずい!
夕方だったので慌てて救急で病院に……
やはり脳梗塞
太い血管ではなく細い血管だったと言われ少し安心
そのまま入院
現実を受け入れることが中々出来ずにそのまま別れた

翌日の面会
相変わらず面会は15分
こんなことでは益々、ボケてしまう
この日は会話は筆談でした
喋りにくそうにしていたことに驚いた

面会2日目
目の前にいた母は母でなくなっていた
唖然とした
夜中に叫びまくり
点滴を外し
ベッドに膝をついて立っていたと
やむを得ず、ナースセンターに連れて行ってもらったらしい
看護師さんに憎まれ口を聞いていたのだと思う
私のことも誰だと尋ねても即答はせず、面倒臭そうに話す
この現実を自信で理解するのは時間が必要
一睡もしていなかったことから私と2人になったら突然に爆睡し始めた。

痴呆の人間が突然に入院をすることになると、こう言う現象になるのはよくあることだと看護師さんに聞かされた。
時間が経つと戻るらしいが果たしてどこまで回復してくれるのか?

少しだけ安心はしたものの
これからどうしてやることがいいのかは、まだわからない

私はこの世で介護士、看護師、保育士さんのお仕事を心から尊敬している。
知らない人間の面倒をみることの大変さ、ましてや痴呆症の人間を相手にする程、大変なことはない
申し訳ない気持ちしかない

母が母でなくなった日
明日も会いに行こう