母と向き合う

突然の脳梗塞で
救急病院の甲南医療センター
本山リハビリセンター病院
そして老人ホーム

と漸く居場所は落ち着いた。
が、やはり脳の退化は著しい。
そして何より精神の安定は全く未知である。
今は安定とは程遠いのが現実。

母は心臓は強いので、今は93歳だがおそらく100歳までは間違いなく生きられると確信している。
となると、少なくとも後7年今の母、もしくは更に脳の退化も想定内の母とどう向き合って行くか?
試行錯誤の毎日になることだろう。

今も自身の精神の振り幅は著しい!
母がご機嫌でいてくれると自身も嬉しく、母の精神が安定しないと絶望感を味わう。
心が疲れるとは当にこう言うことだと思う。

自身の修行だと思って向き合って行こうと思っている。

そしていつか来る道……

寅吉が逝ってしまった。

寅吉との出会いは車を運転している時だった。
私の少し目の前を猫が走り抜けた。
嘘でしょ?
どう見ても私の隣の車線を走っていた車にヒットしたのでは?と言う恐怖感で、Uターンして現場に戻ったが、猫らしい生き物は道路にはいなく一瞬はホッとしたが、どう思い起こしても???だった。反対車線で辺りを見渡すと何人かの人達が歩道で地面を見ている。
あそこにいるんだ!とすぐに理解した。
車を降りて、道路を渡って歩道に行くとやはり子猫より少し大き目のトラ猫が横たわっていた。
素手で抱こうと思ったら、かなり興奮していて攻撃的だった(当たり前)ので車に何かあった時に…とバスタオル等々色々なグッズを積んでいるので、取りに行く間、見ていた人に見張っていて下さいとお願いしてバスタオルを取りに行き、バスタオルに包んで保護した。

そのまま、シートベルトもせずに近くの動物病院に駆け込んだ!

そこの病院はもう10年以上通っていた病院だ。
が!閉院間際に駆け込んだら何と!院長に冷遇された。
怒りを抑えながら、とりあえず入院をお願いした。
5日程入院して、これ以上預かっていても救急での処置も終わったとのことで、とにもかくにも、あの冷遇ぶりに早く縁を切りたく、連れ帰ることにした。
症状は大腿骨骨折で歩けてはいなかったけれど、そんなことはどうでも良かった!
こう言う場合は猫の自然治癒力に任せるしかないからだ。
自宅に連れ帰ったが、歩けないながらも人にはやはり攻撃的な猫だった。
真面目に向き合いながら、何とか普通に歩ける様になり、走れる様にもなった。
でも、人間は好きにはなれない様子は最後まで変わらなかったが、彼なりに私に恐る恐るながらも気がつくと横に来ていた謙虚な家猫になっては来ていた。

猫の相関図は複雑だ。
誰は誰に弱く、誰には強い。
好き嫌いも時の流れと新しい猫が参入すると変わって来る。

トラ猫は決して社交的ではなかった。
どちらかと言うと苛められっ子だったと見ていた。

猫部屋の網戸を開けて2週間の家出事件もあった。
毎日、小声で呼びながら探した。
ある日、私の駐車している車付近にいるトラ猫を母が見つけた!
母!グッジョブ!
早速、捕獲器を仕掛けたら、食いしん坊の寅吉はお腹も空いていたこともあり、すぐに捕獲器に入ってくれた。

2017 年の秋口に保護して7年間
7歳……
1カ月程前に怖がりの彼が私は脅かした訳ではないが突然に私が現れたので、ビックリして威嚇した。
その時の彼の舌が横に出て垂れ下がっていたことに気付いた!
食べ方もガツガツ食べる彼がポロポロこぼす。

おかしい!変だ!と病院に連れて行った。
口内、咽頭に何か違和感があるのでは?と全身麻酔を掛けて口内と喉を診てもらったが何もなかった。
暫く経過観察で過ごしたが、やはり食べ方も食いつきも変だ。
食べる量が明らかに少ない。
当然、体つきも痩せて来たので、再度病院に連れて行く覚悟をして、捕獲!
猫を知っている人達はご理解してもらえると思うが、すぐに捕獲出来る子もいるが、本当に闘いになる子もいる。
猫は察するのが早い!
何か私の動きが変だ!
キャリーケースの音にも敏感!
なので、病院に行く前日に猫部屋の外には準備をしておく必要がある。

捕まらない子は洗濯ネットに入れてキャリーケースに入ってもらう。

寅吉はそのタイプで威嚇する、失禁するの大変な子だった!
その時の失禁の悪臭は凄まじい。

その日も凄まじい拒絶と闘いながら捕獲したが、その時の失禁の尿の色はターメリック色だった。
数字前からターメリック色の尿を確認していたが、肝臓が悪い子がいるな〜と順番に血液検査をしなければ…と思っていたが、その尿は寅吉だった。

肝臓ではなく、既に黄疸が出ていた。
かなり早い進行だった。
眼球の反応も落ちていると…
茫然自失だった。
急性リンパ腫だと…
今から何が出来るか?
院長に尋ねた。
そこの院長は本当に信頼出来る方で無類の猫好きで、「猫の病院」「Rキャット」と言う猫だけの病院である。
院長と話ている間にもう手遅れであることは理解せざるを得なかった。

出来ることは、何をするにも体力を戻す為に強制給餌!
これは中々辛い現実である。
何度しても、嫌がる子に無理やり給餌をすることはこちらも辛い。
気合いを入れてゆっくり少しずつ必要量の一缶のほとんどを与えられた!
この調子で明日も一缶!と仕事に出掛けた。
帰宅後、猫部屋で隔離しているケージには恐ろしい量の嘔吐の跡が……
しばらく凝視した。
現実を理解した。
内臓の機能はしていないんだと…

体力もかなり落ちていた。
怖がりなので、本来ならケージに入れられたら、隙あらば出ようとするはずなのにもうその体力も残っていない。

そんな寅吉と向き合いながら
覚悟を決めた。
もう、強制給餌はしない!
このまま、看取ってやろうと…

何度となく経験したことだ。
人間の勝手な想いで少しでも食べられたら、食べてくれたら…と願う気持ちは理解出来るが、結局、嘔吐をすると体力が落ちる。
それは猫にとっては拷問だと…

出来ることは、水分補給の皮下点滴しかないと、自宅にはいつも点滴が出来る準備はあるので、200CCだけ補液した。

が、やはり劇的に体力が低下して行くことは明らかだった。
呼吸が荒くなり出した。

ここまで来ると、もう身体を撫でるしか出来ない。
耳元で「寅吉」と呼びながらさすった。
彼は最後の力を振り絞って喉を鳴らしてくれた。

何度となく惹きつけの様な仕草が始まった。
これが最期になると理解した。

そして静かに息を引き取った。

かなり体液で汚れて臭いもしたので、死後硬直が始まる前に身体を洗ってやった。
タオルで拭いてドライヤーで乾かした。

今は静かにベッドに納めて、寝ている。

これで14匹の猫を看取った。

それぞれの思い出があるが、何度看取っても馴れることはない。

寅吉 7歳
若くして旅立った。
また、逢おうね!

こんな再会もあるんや

昨夜、いつも行っているワインバーと言ってもしっかり美味しいお食事も出してくれる素適なスポット「塩島」に行った

お客様は私達を含めて3組5名
それぞれに美味しいお食事とワインを堪能しながら色々な話に花が咲いていた!

お食事も終わりそろそろお会計…
と言うタイミングで少し離れたカウンター席にお一人で来られていた若い男性が私に声を掛けて来られた。

それなりの時間をそれぞれに過ごし、最後に声を掛けられた現実に最初は何事かと戸惑った。
蓋を開けたら、な、な、何と!
20年以上前に私が利用していたタワーパーキングでアルバイトをされていたと言う男性でした。
まさかの内容過ぎて自身が遡ることに必死だった。
彼の話は
「昔あの場所でアルバイトをしていた時に色々なお客様が来られてそれなりの地位の方達を目の当たりにして、いつか自分も大きくなりたいと心に誓っていたんです」と……
そして、彼は有言実行を既にされていた。

ブラボー

恐ろしいことに彼は私の当時の車種、ナンバープレートを覚えていた!
何と言う恐ろしい記憶力!
圧巻だ!

しかし、20年以上経って
私の容姿はかなり変わっているのに顔と声を聴いてピンと来たと言われた。
何につけても凄い人だ!

そして、何より私のことを
いつも愛想が良かったことも記憶してくれていて、そのことも伝えてくれた。
ええカッコではなく、自身は昔から明らかに自身が優位に立っている立場の場合には絶対に偉そうな言動は慎むことには心掛けていた。
なので、それは自身としては当たり前のことではあったが、そのことを覚えてくれていたことには、本当に嬉しいしかなかった!
改めてその必要性を痛感した。
そして、これからもこう言う礼儀は続けて行こうと誓った!

増田さん、お声掛けてもらったことありがとうございました。

また、どこかでご縁があります様に……

母が母でなくなった日

母は93歳
快食
快眠
歩みはヨタヨタながらも歩行器や杖は使わず何とか歩ける程度
何が問題って超難聴
補聴器は3タイプ目
型取りをして作ったオリジナル
だが、それでも難聴
会話は何とか
掃除はしなくなった
お料理もしなくなった
でも、病院の薬は何も飲んでいない
トータルするとやっぱり健康体
のはずだった母が一昨日、突然に歩行困難になり右足の感覚が薄らいで、右腕が痺れて来たと…

これはまずい!
夕方だったので慌てて救急で病院に……
やはり脳梗塞
太い血管ではなく細い血管だったと言われ少し安心
そのまま入院
現実を受け入れることが中々出来ずにそのまま別れた

翌日の面会
相変わらず面会は15分
こんなことでは益々、ボケてしまう
この日は会話は筆談でした
喋りにくそうにしていたことに驚いた

面会2日目
目の前にいた母は母でなくなっていた
唖然とした
夜中に叫びまくり
点滴を外し
ベッドに膝をついて立っていたと
やむを得ず、ナースセンターに連れて行ってもらったらしい
看護師さんに憎まれ口を聞いていたのだと思う
私のことも誰だと尋ねても即答はせず、面倒臭そうに話す
この現実を自信で理解するのは時間が必要
一睡もしていなかったことから私と2人になったら突然に爆睡し始めた。

痴呆の人間が突然に入院をすることになると、こう言う現象になるのはよくあることだと看護師さんに聞かされた。
時間が経つと戻るらしいが果たしてどこまで回復してくれるのか?

少しだけ安心はしたものの
これからどうしてやることがいいのかは、まだわからない

私はこの世で介護士、看護師、保育士さんのお仕事を心から尊敬している。
知らない人間の面倒をみることの大変さ、ましてや痴呆症の人間を相手にする程、大変なことはない
申し訳ない気持ちしかない

母が母でなくなった日
明日も会いに行こう

最近の気象予報と交通機関の疑問

私達の業種の飲食店はこの1週間台風情報に振り回されることになった。

最初の予報では週始めの月曜日と火曜日に直撃!とのことだったが、あまりにもスロー過ぎて結局、金曜日と土曜日……
でも、結局雨風で台風を感じることもなく、土曜日は豪雨との予報が晴れ☀️た!

月末の最終週で8月の静けさを少しでも挽回したかったのに1週間、驚くほどの静けさに見舞われることになる。

豪雨で言うと台風とは関係のない関東地方がゲリラ豪雨に見舞われ、大変なことになっている。

勿論、大変なことになってお亡くなりになった方もいるが、もっとしっかり地域地域での予報をしてもらいたいものだとつくづく思う、憤懣やる方ない1週間でした。

地震予知とは何ぞや???

知らないことは罪だ!と最近つくづく思う。
地震学者達が近年起こり得ると予知している場所は見事に当たらない。
これは神様が嘲笑っているかの様だ。
最近になり、地震の予測は不可能だと言う結論に至っていることをみんな知らない。
直前の予測は可能だが長いスタンスでの予測は無理!

日本列島、どこで地震が起こってもおかしくないことが大前提で普段からシュミレーションをすることは大切だが、あのお盆休み前に気象庁から、あの物々しい警戒情報の意味がわからない。
観光地にすればとんだ迷惑でしかない!

日本人は自分で判断することを怠り過ぎだ!
そして判断するには自分でしっかり調べること、知ることが不可欠だ!

本当に無知な日本人が多すぎる。

はてな?ハテナ?

母が足の指が痛いと言うので、東神戸病院に連れて来た。
外科か?
整形か?
定かではないので、どちらも行くことになる。

病院と言う所は未だにマスクは必須!
マスクとは、双方がしている必要はなく、予防したい方がすればいいとコロナの頃から認識していた。

母も私もマスクの日常がなかったので、病院に来る度に「あっ忘れた!」の現実である。
今日も案の定、2人とも忘れており、車に一枚あったので、母に渡した。

私はせずに終わらせたいと思っていたら、未だにいるマスクバスター!
75歳くらいの男性が
いきなり私に「マスクをして下さい。マスクをするのがルールですから!」と……

今は飛沫感染はない!と私は認識しているし、全く不可解な場所だ。

その後、2人の看護師には
うるさい方がいるので、申し訳なさそうに「マスクをお願いします」

漸く、売店が開いたので、30円で購入した。

こんな閉鎖的な現実がいつまで続くのだろうか?

本当にバカバカしい……

セミの一生

今年の夏も蝉の声を聴き始めて暫く経つが、毎年思うことは、

蝉の存在の意味だ
この蝉と言う生き物は何の為に生まれて来るんだろう?
幼虫として土の中で7年
そして漸く外界に出て1週間から長くて1ヶ月ほどらしい…

それを思うとベランダに飛んで来て一生を終えた蝉
道にコロンと転がっている蝉には心の中で「お疲れ様でした」と伝える様になった。
そしてベランダに来た蝉は鉢に納めて夏が終わったら川に流す。
道に転がっている蝉は近くの草の中に置くことにしている。

時々、息絶えていると認識して掴むとまだ生きていることもある。
その時は一瞬驚くが、又飛び立って行く場合もあれば、そのまま最後のあがきをしてくれる場合もある。
その蝉には何とも言えない切ない気持ちになる。

誰が興味あんねん!
でした。
ご精読ありがとうございました。

洗濯

自身は基本的な家事は嫌いではない。
洗濯をすることも趣味の一つで洗濯用洗剤は何種類も置いている。
今日は気になりながら見て見ぬふりをしていたカーテンの洗濯に着手した。
その洗濯に欠かせなかったのが「洗濯のり」
しかしながら、その「洗濯のり」1番の売れ筋だったキーピングが既に販売中止になってしまった。

昔、自身の記憶では食べられなくなりつつある(腐りかけ)炊いた白米を布袋に入れて水に溶かして洗濯のりとして活躍していた。

その後、便利な洗濯のりが出てそのヘビーユーザーだった。

しかし!
まさかの発売中止!
Amazonで見ると使っていたキーピングが何と3,100円!
ないわ〜

糊付けをすることで布にコーティングされ汚れが浸透しにくくなる効果もあり、パリッとする気持ちよさと一石二鳥!

だか、もう自宅で糊付けするような時代ではなくなったと言うことだ。

昭和の必須アイテムがどんどん消えて行く……

めちゃくちゃ久しぶりのホームページのブログです。

最終更新日から何年経ったのだろう?

更新する気にもなれなかった楽しくない日々や愚痴りたい、ボヤきたいのに更新する術を忘れてしまって何度となく、リトライして諦めた時………

これから再開しようと思います。

誰が見てくれているかもサッパリわからないけれど、自身の考え方、生き方を共有してくれる人達がいてくれたら嬉しい限りです。